小澤征爾音楽塾『子供と魔法』

本番ではないんですが、ゲネプロに潜り込ませて頂いたので。
前半がベートーベンの交響曲2番、後半がラヴェルのオペラ『子供と魔法』。

オケがこんなに若いんですね。以前観た小澤塾は二階席だったので、オケをそんなに注視してなかったのでした。えっ学生さん?て思うぐらい若い奏者だらけ。でもめっちゃくちゃ上手い。オリンピック選手団かよ。
ランスルーの前に、ベト2のなかから前日の練習で仕上げきれてなかった部分を暫くあちこち返し。「若い人は往々にして急ぐものだけど、これこれこうしっかり弾いて〜」とか、交響曲を振る指揮者のナタリーが英語でブワーーって説明しながら進めるんだけど、この指揮者の話しぶりが優しいし腰は低いし。ものすっごく良い人だなあ!!! さすが小澤征爾が連れてくる指揮者だわい。
ランスルーのベト2は、冒頭ガチガチに空気が緊張してたのが、最初に練習した小節に差し掛かったところで波に乗った感じ。指揮者は若いオケを基本どんどん走らせながら、手綱をしっかり握って抑えて抑えて、時々離して、またしっかり抑えて、の繰り返しでクライマックスまで持っていく。人を育てるのが上手そうな人だ…。

ラヴェルのオペラは小澤征爾指揮。
ところでオペラは、主役は歌手と物語じゃないですか。オケが一歩後ろに下がる。そうすると物語に身を任せて、すごくのびのびと魔法を紡ぐようになっていって(笑)
これがさっきと同じオケか!!若さと技術が集まると、こうなるんか!?と。本当に面白かった。


『子供と魔法』は一昨年のサイトウキネンに続いて二度目です。
今回の演出が王道な作り方なのかな。衣装や舞台も演技も、玩具箱をひっくり返したみたいに、わざと統一感なくてがちゃがちゃしてる。横糸の素材と太さと色が全部違ってて、縦糸は魔法使い小澤征爾っていう感じを受けました。何しろ椅子カップルは無駄にお色気、暖炉の火はフラメンコ、中国茶碗が関西弁、サッカーチームが12人(笑)そもそも、子供のイマジネーションで出来てる世界だから、正しくなくて良いわけですね。ということは、ラヴェルの元々のイメージは、どちらかというとこっちだったんじゃないかと思いました。

サイトウキネンの時のは、無駄なものは全て削ぎ落とされた空間に美しい美しい夢が溢れているような、すべてが完璧に洗練され尽くしたような、ファンタジアでした。個人的な好みはサイトウキネン版ですが、今回のも好きです。

『アニー』

これも映画館で。
とても良かった。

舞台は同じニューヨークだけど、時代を1930年代から現在へ、メインキャスト二人を白人から黒人へ、それぞれ置き換えた脚本がお見事。
古き良きブロードウェイミュージカルは、そこにはない。アメリカの観客のほうが賛否両論あるんじゃないかな。わたしみたいな、舞台版を観ておらず知識としてしか知らない、日本人の観客のほうが、すんなり受け入れられるかもしれない。

R&Bの匂いのする歌声、舞台では使えないギミック(くるくる変わるカメラワーク、ヘリコプターの空撮、そしてtwitter!)を多用して、張り巡らした伏線を回収。だけど前向きなアニーの持つメッセージはそのまま。
ミュージカルに載せたポジティブなエネルギーといえば、映画『ヘアスプレー』を思い出すけれど、『アニー』の完成度が頭ひとつ、くっきり上。
「tomorrow」を歌いながら映画館から出てきました。

『インターステラー』

備忘録、備忘録。
先月映画館で観たので書いておく。

「森が好きな映画だと思う!」てオススメされて公開一ヶ月以上経って観に行ったら、かなりギリギリの滑り込みセーフでした。
結果、めっちゃ好きな部類の理屈っぽいSFで、満足。めんどくさいタイプのSFが好きなんです(笑)
一言で言うと、三時間の長尺で描く、壮大なる『2001年宇宙の旅』解説ムービーでした。これを観れば君もキューブリックの宇宙がわかる!みたいな。

盛り上げに来ないし、映像は宇宙が多くて暗いしで、人によっては壮大に寝ると思う。
でも猿で30分つぶれたりしないので安心して下さい。

『閻魔のかんざし』

ながみねひとみちゃんが脚本と演出で参加した舞台。暮れに観て来ました。
昔むかし、閻魔になったアヤカシが、簪を愛した女に贈ったのだとさ。
その簪はのちのちに、大きな力を持つ秘宝になったのだとさ。
たくさんの人とアヤカシが、簪を巡って戦ったのだとさ。
彼女には珍しく、アクションありのラノベ的中二病ファンタジー(※褒めてる)。
台詞がくさい(※褒めてる)。

殺陣がちょっとスローだったかなあ。あとは、くどくど説明しきらずに結構ぶったぎるので、ちょっと途中まで勘違いしてみてた部分があった気がする。しかし具体的にどこが、と訊かれると思い出せない。何だっけ……。
普段ながみねひとみ嬢が得意としている、女トークな場面と、ラノベ的ラブストーリーな場面の、筆の運びが違う感じがしたけど、これはわたしが彼女をよく知ってしまってるからだろうか。
全体的にはエンタメエンタメしてて楽しかった。イケメンズをもっと前面に押しまくればいいのに。笑

会場が”ブディストホール”と聞いて、ずいぶんホトケっぽい名前だなと思っていたら、築地本願寺の敷地内でおったまげました。築地本願寺で閻魔がアヤカシがどんぱち……。でもお寺の方々は内容を知ってもアッサリしたもんだったそうです。やっぱ一流の悟ってる方々は懐深いのか。

『パーフェクト・ワールド』

観た映画備忘録。
クリント・イーストウッド監督の初期作品ですかね。イーストウッドにとって、父子関係は永遠のテーマなのかな。『グラン・トリノ』とかもそうですよね。
愛おしくて奥行きのある、いい映画だったんですが、ラストシーンで、ブッチがフィリップの母親に「これからは毎年ハロウィンをやらせてやれ」と言って、涙ながらに母親が承諾するくだりで一気に冷めてしまいました。これはない。監督も脚本家も、浅い。

フィリップは今まで、母親がエホバの証人なので、少しでも宗教的な行事やお祭の類を一切経験したことが無かった。エホバの証人の家庭は、クリスマスもハロウィンも、お盆もこいのぼりもひな祭りもバレンタインも誕生日も一切やりません。起源に他の宗教や超自然的なもの(土着のもの含む)が関わっているもの等は、彼らは一切拒否します。唯一無二の天の父以外を奉る・あるいは祝う行為を、拒むわけです。
そして、彼らの信仰はとても強固で、たとえ子供の命が掛かっていても、信仰を貫きます。将来、永遠の命が神から子供にも授けられるのだから、それを邪魔するようなことは決してしてはならないのです。子供がクリスマスを祝えば、神の狭き門を潜れなくなってしまうから。第二次大戦中に信仰を貫いた事で強制収容所で亡くなった人がたくさんいたり、両親が子供への輸血を拒否して子供が亡くなったりした、そういう例はいくらでもある。
彼らの信仰を間近で見てきた経験のある者としては、リアリティが感じられなさすぎました。

『チャールダーシュの女王』

体調を崩してしばらく文字通り引きこもってました。廃人のよーな生活をしてるうちに11月が消えた……。
今週から動き出してます。

そんな中で急遽観てきた二期会の日本語訳詞オペレッタ『チャールダーシュの女王』。満喫。
ちなみに知恵熱的な感じで翌日は寝込みました。

レポートというか備忘録。もう随分経っちゃったので観た舞台記録として備忘録。とても面白かったです。オペラ歌手が踊るしお芝居するし笑いをとりまくる。贅沢だったわあ。

『STAND BY MEドラえもん』

大丈夫。きみの未来は、絶対に明るい。

無責任で盲目な楽観は、深い愛情から伸びる無敵の呪文である。この台詞がまさにめくるめくメッセージだった。
のびたとドラえもんがタイムマシンで訪ねたのは、あの頃の少年たちが夢見た未来だった。わたしたちの今ではなくて。

『三丁目の夕日』の監督。泣かそう泣かそうというアプローチが、ちょっと過ぎたかな。もう、凄く分かりやすく泣かしにくるんで。観てる側としても、ここでは泣いたらん!みたいな意地の張り合い(笑)でも泣かされました。くやしいぜ。
ドラちゃんの可愛さに免じて許すけど。

某シーンにどわっと現れるスポンサーロゴは、別にいい。子供アニメの背後に大人の事情ってパターンは、鉄腕アトムの時代から普遍なもんだったわけですから。しかしエンドロールのNG集はいらなかった。猛烈に要らない。
ピクサーにかぶれちゃったのねえ……。笑

『テンペスト』

「雲を頂く高い塔、綺羅びやかな宮殿、厳しい伽藍、いや、この巨大な地球さえ、
因(もと)よりそこに棲まう在りと在らゆるものがやがては溶けて消える
あの実体の無い見せ場が忽ち色褪せて行ったように、後には一片の霞すら残らぬ
吾(われ)らは夢と同じ糸で織られているのだ
ささやかな一生は眠りによってその輪を閉じる」
(『あらし』シェイクスピア、福田恒存訳、新潮社版、1971年)  

白井晃が夢を織る。3時間の、束の間の幻。シェイクスピア最後のファンタジー。
最後の舞台で、人は人の世に帰り、人を愛し、赦し、そして自由になる。
(公式サイト)

舞台を埋め尽くす大量の箱、箱、箱、そして山のような本。白井晃の頭の中は、子供並みに柔かいんでしょうね。
そうだった。思い出した。想像の舞台では、箱の山は、難攻不落の要塞にも、お城にも、ジャングルにもなるんだもの。こういうの好きだなあ。
ミラーボールだけはやめとけ…と思ったけど、他の演出は無駄がなくて無限の広がりを表現できてて凄いなと。
あと、古谷一行のプロスペローも重厚で良かったけど、周囲の脇役陣がすごくうまいんだろうなと思った。
主演を食わず、それでいて豊かに演じきるという。

翻訳は近年上演されているシェイクスピア劇と同様に、松岡和子訳なんだけど、どうしてなんだろう。

わたしは福田訳が好きだー!!

しかつめらしいとか古臭いとか言われようと

好きなんだーー!!!


あれはね!タイムレスビューティーですよ!大体シェイクスピアなんだからね、そこ譲らなくて良(以下略)

というわけで(どんなわけだ)福田訳で『テンペスト』の名台詞を貼りつけておきます。


「これ程美しいとは思わなかった、人間というものが!
ああ、素晴らしい、新しい世界が目の前に
こういう人たちが棲んでいるのね、そこには!」

「吾(わ)が身の果てはただ絶望のみ、友の祈りに助けを借りねばなりませぬ
祈りはやがて天の扉を叩き、神の慈悲を動かし、
この身の犯した過ちもすべて許されましょう」

(上記と同じく福田恒存訳、新潮社版、1971年)  

『アナと雪の女王』

ディズニー新世代のフェアリーテイル。ヒロインもツートップ。王子様がハッピーエンドを持ってこない。
それでも、骨の髄までディズニーなミュージカル。
これが、ひとつの到達点か。

一言で言うと、長女はつらいよって話です。
だって次女は天真爛漫だし笑顔が可愛いし自由奔放だし恋に失敗して打ちのめされてもすぐ次の男が現れるし、それにひきかえ長女!! 責任感満載の孤高のひきこもり。
一緒に観に行った母と、「次女ってのは古今東西こうなのかねぇ…」と話しながら帰宅しましたとさ。

評判どおり、色々と新しい。王子様?ヒーロー?がヒロインの人生にまるで役に立たないところも然り、それ以上に、波乱を自らの足で走りぬいたヒロイン達が"答え"を己の中に見出して、しかもその”答え”が台詞で全く説明されないという。この点はまさに『千と千尋の神隠し』方式。
だいたい、人生に対する答えを言葉でちゃちゃっと説明できるなら、2時間も3時間も映画を見せる必要ないのだ。登場人物達が生きるドラマの中から滲み出るから、ドラマなのであって。

音楽も評判どおり、素晴らしい。王道ディズニープリンセスクラシックでもなく、かといってハンナ・モンタナ系ポップでも、決して、ない。サントラ買ってしまったではないか。うふふふ。
歌詞で、これでもかー!と韻を踏みながら伏線をばらまくんです。英語詞っていいですね。日本語も美しいけれど、日本語歌詞の「一つの音に一音」より、英語詞の「一つの音に一音節」のほうが、やっぱり歌詞の密度は桁違いに高い。歌詞が物語を背負って縦糸横糸を織り成す。良く練られているもんです。

一点、なんだこれは?という要素があったのですが、完全にストーリーをばらしてしまうので続きは↓へ。

『Final Symphony Tokyo』

Final Symphony Tokyo - music from FINAL FANTASY VI,VII, and X

スクウェア・エニックスが全面バックアップ、演奏は東京フィル、会場は東京文化会館。

シンフォニーというタイトルそのままでした。
ゲーム音楽をそのままみっちり聴くつもりで来ると、肩透かしに遭っちゃう作り方でした。編曲が、クラシックの交響曲と同じようになってて、長い楽章の中で複数の世界観を渡って行く。あー、これはゲーム音楽から派生したひとつのアートだな、と。
本物の音で、普段クラシックでは絶対ないような事を色々やってるのがおもしろかったです。楽器の使い方もそうだし、編曲が主題のちりばめ方で観客を焦らしたり、不協和音が多用されてたり、ピアノの音ををパーカッションみたいな立ち位置で使ったり。意外さ満載でした。
一流のオケを使って、ゲーム音楽ってこの後どこへ行くんだろうなあ。クラシックだと意味無いしね。

植松さんも浜渦さんも客席にいるなんて、反則や……。
あと浜渦さんの最初のFFの仕事が「7の合唱」っていうの、びっくりしました。あれかーーー!!(笑)

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